私は悲観論者。

1999年に風煉ダンスで「悪漢」という野外劇を渋さと一緒に公演した後、
「さて次は何をしよう?」と演出の笠原くんと考えていた時、
折しも時代は世紀末「ノストラダムスの大予言」に代表されるようにちょっとした終末思想も高まっていたこともあり「じゃあ「大災害」ってのはどう?自衛隊は軍隊になってて、首都直下大地震が起きて、富士山も爆発して、原発も爆破して、もうめちゃくちゃな世の中が舞台でアダムとイブみたいな物語。「大災害」略してDSG!」なんて呑気に話していた。
それは世紀末観が流行した80年代演劇の空気を胸いっぱい吸った単なる演劇愛好家である私の、ユートピア、いやデストピア待望論のような気分でもあった。
翻ればそんな酷い世の中にはまさかならないだろうと高を括っていたのだ。
しかし現実はいまや私の想像力など簡単に飛び越してどんどん先へ行く。

その予兆が現実味を帯びてきたのはいつだったか。
自民党が前回選挙で勝った時、いや311以降の民主党のバタバタぶりから一転、安倍晋三自民党の総裁選挙で息を吹き返したあたりから、いやもっと前だ、2006年の第一次安倍内閣の時からこうなることは予想がついてた。
(しかし第一次の時は任期半ばにして途中退陣してくれてちょっとだけホッとしたものだが)

集団的自衛権」「普天間から辺野古への基地移転」「憲法改悪」「原発再稼働」
あらゆることが自国民の為でなく、アメリカ、そしてグローバル経済に掬う拝金主義者ども、資本主義経済に血道をあげて為政者に恩恵をもたらしてくれる一掴みの者達の為だということは誰の目にも明らかだ。

とはいえ自民党政権を引きずりおろす次の国政選挙までまだあと3年近くもある。
もしかしたらその間に、再び大きな震災(南海沖地震、首都直下、富士山噴火)や、原発の何がしかのトラブルが起きたりして、とりあえず政権にあらゆることを任さざるをえない非常事態だって起きるかもしれない。
そうなればもう自民党の長期政権、翼賛体制は続いていく。
悲観論かもしれないけど現実に起こりえないとは誰も言えない。

そしてきっと自衛隊アメリカと共に集団的自衛権憲法拡大解釈を盾にどこかの国で戦闘に必ずや巻き込まれるだろう。
それは私たちの中で未來のことにも拘わらずいつの間にかもう見たことになってる風景として既に記憶されているのじゃないか?
(それは日中戦争勃発の引き金となった盧溝橋事件のように謀略によって仕掛けられた戦争として始まるかもしれない。)
国民全部が大反対してももう遅い。
事態は後戻り出来ないところへ入り込んでいく。
こりゃまるで太平洋戦争前じゃないか。歴史は繰り返す。

だからって私に何が出来よう。私は非力だ。とてつもなく非力。
単なる演劇好き。
だからこそ演劇とか表現とか、自分のフィールドでこそアピールしていくべきと原発反対デモにも積極的に参加してこなかったし、国会で進められている法案についてもいちいち注視してアピールしてこなかった。
自分の感性で戦おうと思ってた。
だがこれから先そんな何が起こるかますます分からない。
もっと酷いどしゃめしゃな未来が来るやもしれない。
だからこれ以上酷いことにならないように、いつかは明日かもしれず、とりあえず今やれることを今やるしかないと思う。
なりふりかまっていられない。
思いついたら動くしかない。
時間はあまり残ってない。
って最後はなんだか小学生の感想文みたいだな。
いや今の小学生の方がもっと上手く書くわ。
ああ駄文だ。
だからやっぱりそしてやっぱり演劇やらなきゃ。