公演終了。今更の吐露。終わらない創作。

「泥リア」にご来場いただきました皆様、本当にありがとうございました。
公演後多数のお客様から様々なお声を頂きました。
その多くは「今この時期にこんな芝居やってていいのか?」という私達の懸念を払拭するものでホッとすると同時に励まされました。改めてありがとうございます。
そして「泥リア」の創作に関わったみなさん、心から感謝。楽しかったですね。
また近々出会いましょう!

日曜日に千秋楽を迎え翌日片付け。
みんなは早い人で月曜日から社会復帰しているというのに、私はゆるゆるとようやくこのブログを書ける頭になりました。

結果から言えばとにかくこの公演はやって良かった。
劇場入り前の「にしすがも創造舎」での最後の稽古の時期には「震災や原発事故を扱うなんて、やはりこれは大変なことをネタにしている・・・」とあらためて緊張と茫漠たる思いに駆られたのですが、でも「今やらねばいけないものがきっとあるんだ」という信念だけは最後まで揺らがず本当に良かったと思っています。
それは集団創作ならではこそ。苦しいながらも三歩進んで二歩後退を繰り返しながらなんとか本番まで青息吐息でたどり着きやっぱり人と一緒にものを創ることは楽しいという気持ちをちゃんと味わえました。
そこには参加者ひとりひとりのクオリティーの高さと、やはり演出であり集団のとりまとめ役の笠原の粘り強い諦めない力が大きかったと思います。


今回の公演は「東日本大震災」における被災した避難住民、死亡者、行方不明者、全ての人々に捧げ、また東電や政府はじめ原発への憤怒を「あさはかと言われてもいい」という思いで描きました。

実際「泥リア」という題名は、去年の9月末に「オンディーヌ」(ペーター・ゲスナ-演出)の稽古中に演出のカサハラと「来年、せんがわ劇場抑えたけど、演目どうする〜?」と深夜のジョナサンで話していたときに、半ば語呂の良さで決めたことをカミングアウトします!
もちろん「リア王」にした根拠はあったわけで、それはたまたま私がDVDで見たモスクワフィルムの映画「リア王」(グリゴーリ・コージンツェフ監督、ユーリー・ヤルヴェト主演)に感化されてミーハー的に「リア王面白そう!」と思ったのと、それ以外にも一昨年亡くなった認知症を患った父の姿とリア王が荒野を彷徨する姿がだぶったこと、そして橋本治の小説で昭和三部作と言われる「リア家の人々」「巡礼」「橋」を読んだことなどなど。それに加えてここ数年私の戯曲に権力の痴話喧嘩でとばっちりを喰う民クサを「泥の人」として登場させてきたことなどで物語になるかな?と漠然と思っていたのでした。
(嗚呼?!創作の秘密を明かしてしまった!)

実際、稽古は3月頭からぼちぼちと始めてはいたのですが
その時点で私が皆に提示していたのは様々なシーケンスばかりで、それが物語として数珠つなぎにはまだなっていませんでした。
それが震災と原発事故で一旦筆がぴたりと止まってしまい再開できたのは10日後くらいから。もうそのときははっきりと「原発反対」芝居になってもいいじゃないかということを笠原と確認し合い、やけくそというか開き直りでとにかくいこうと。

とはいえ、こちらは所詮首都圏の安全圏でぬくぬく暮らしている身。
被災し亡くなった人、避難した人、行方不明者のことを思えば、それをすぐに芝居にするなんて「あさはか」と言われて当然だろうと思いました。
でも思い立ってしまったものは止められず(非難は覚悟の上。オレはマゾか?)・・・だったら、それをいかに直接的にならずに普遍的な寓話性なども持たせて作れるか?苦悶の創作の日々。

何より毎日毎日テレビで報道される津波で何もかも流され瓦礫となった三陸の港町の風景と、震災前に作ったはずの今回のアオケンデザインの「泥リア」のチラシの絵が全く重なり合い逃れようもないものになったのは偶然なのか宿命なのか。インスピレーションなのでしょう。

実際、4月頭時点で台本に行き詰まった私は、4月10日、皆に黙ってこっそり被災地の仙台市名取川周辺や石巻にも行きました。「もう被災地を見ないとどうにもならない!」と台本が進まないまま稽古にも顔を出さず悶々と被災地に行くか行かないか一週間考え抜き、当初は救援物資を持っていこうとも思ったのですが、うろうろ考えて居るまま結局準備も間に合わず、とにかく「見なければ!」という半ば創作の悪魔に魂を売った気持ちでヤフオクでガソリン携行缶を4缶買って合計800リットル往復900㎞行って帰ってこれるガソリン積んで単身12時間かけて往復しました。自衛隊の復旧作業の始まる朝9時前には被災地を立ち去ろうと東京を夜の22時に出て翌日朝方4時に名取川下流閖上地区に到着。名取インター降りる時料金所のおじさんに「ボランティアですか?ご苦労様です」と優しい笑顔で言われたときゃこの上ない罪悪感に見舞われ心の中で「おじさんごめんなさい!物見遊山なんです!次回は必ずボランティアに来ますから!」と誓ったのでした。夜明けの閖上地区日和山富士主姫神社から見る風景は360度真っ平ら。遠くまで本当に遠くまで見渡せて、ここに一体どのくらいの建物が建っていたのか全く想像できませんでした。あらゆるものが破壊されていました。被災後よく言われてましたが広島の原爆投下の跡と風景がだぶりました。
石巻は海岸から離れた内陸のどこまで行ってもめちゃくちゃで、全然水も引いていないし、駅前に巨大な漁船がゴロンと横倒しで打ち上げられてるは、電柱は果てしなくなぎ倒しだわ、とにかくめちゃくちゃな風景の中を盲めっぽう走っている間に、自衛隊の巨大車両がどんどん乗り込んでくる、、、こっちは救援でも何でも無いいわば物見遊山という罪悪感に耐えきれなくなり、とうとうその非日常的風景に心は押しつぶされ最後は恐れをなして逃げ帰ってきたのでした。
「泥リア」の最後に出てくる通し番号で書かれた「墓標」が並ぶ自衛隊ユンボで掘った無縁墓地をたまたま車で通ったので立ち寄りました。普段はふれあい広場として子供達がサッカーして遊んでいたはずの運動場。。。「ふれあい広場」の立て看板が無ければ元はどんな場所だったか分からないくらい荒々しく巨大な芋畑のように掘り返されて既に遺体が埋められた場所にはスギの板切れで作った通し番号の墓標が整然と並んでところどころワンカップのお水やお花が手向けられている。
(そんな破壊尽くされ人の姿がない風景と、これまで見たことも無い大量の自衛隊の車両や隊員の数。これはもう戒厳令下じゃないか?と錯覚するような光景、そして、被災地から遠く離れた都市部で起きた様々な騒動を通して、私は戦争を疑似体験した感覚でした。)

・・・と
そんなことまでして台本に取り組んでしまったので本当にしんどかった。。。自業自得だ。そして芝居が終わった今も決して終わってスカッとしたとかホッとしたという気にならないのは、やはり虚構のような現実の巨大さが蕩々と横たわって終わりが全く見えないからでしょう。むしろ竜宮城から戻った浦島太郎状態というか、芝居の中で自分の作り出した虚構の震災や原発事故に向き合っている間に、現実はもっともっとひでえことになっており相変わらず権力握る人間は愚かな痴話喧嘩を繰り返し民クサには何も知らされないまま未だ情報はちょろちょろ小出しにされ、後の祭りみたいな。ほんとしょっぱいしょっぱい虚構のような現実です。

なので
この戦いは長く続きます。
形を変えて。違う切り口で。
このフタは一度開けたら閉まりません。
開けた人間の責任です。
知った人間も見て見ぬふりはできませぬ。
ああ、しんどい。
でもやらねばならぬ。

次の創作は
とりあえずものすごくくだらないことをやりたいと思う。
心の揺り戻し。
震災も原発事故も微塵も関係ないような。
でもそんなことやりながらやっぱりそこはかとなく考えてしまうような。。。
(要するにどこまで行っても逃れられないのかもだけど)

だから改訂版もやりたい。お金ちゃんとして。今回できなかったことを。
新作もやりたい。ちゃんとお客動員して。

とりあえず「泥リア」終わったので、今後この日記のタイトルは「フウレン男子の日記」にタイトル変更いたします。